何のための "教養" ?

 

 

中学三年生のころからだった。

自分が「リベラルアーツの高校/大学に 絶対いきたい!」と心で誓ったのは。

 

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どうして、そんなに憧れたのか。

偉大な人たち。

建築家、文学者、芸術家にも言えた。

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 リベラルアーツの特徴といえば、学びの幅の広さがある。 それを通して 「自分の専門外の人たちの視点を得たい」 「自分と異なる人と対立した状態から 融和に持っていきたい より良い結果づくりをしたい」 という思いがあったからだ。 またそれができる人って なんかかっこいい。 そんな憧れからスタートした。

それを、建築、文学、芸術・・・それぞれにおける かっこいい人 から 見ていきたい。

 

 

日本を代表する建築家・青木淳さんは、"良い建築について"の条件を、以下の対談で述べられている
 
"学生の場合、たとえば美術館を設計すると、展示室しか作らない。
美術館というのは一般の人はそこしか知らないから、その視点でしか見られないんです。
でも本当はそうじゃなくて、お客さんを始め学芸員、管理運営者、清掃者などそれぞれの立場から見た美術館があるはずなんです。いろんな視点が絡み合っていて、どの視点から見ても面白く、うまく行ってる建築物はいい建築だということになるんですよね。"
たとえば先日の時事だと、東京五輪に向けて 会場やホテル、空港などのバリアフリーが課題となっていた。 の平昌五輪を受けて、学生や政府関係者などが視察に入る。
車いすで来る人子ども赤子を抱く親。にとって、不便にならないような仕組みも。また裏方で従事するために施設を駆け回らなくてはならないスタッフ関係者ボランティア政府高官という極めてフォーマルの高い人々への配慮。日本語を話さない海外からの人々が困らないようにすることも。など、無限大だ。
そのひとりひとりを満足させるのが空間デザインの課題なのだから、果てしない。
 

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"いろんな視点を含合しているのが良い創造物"というと、なるほど文学にも当てはまる。
 

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建築の善し悪しは、いま自分がどの立場で見ているのかによって変化します。作家の立場なのか、観客の立場なのか、学芸員の立場なのか、あっち行ったりこっち行ったりしながら見ていく。だから文学でも、視点がどうしても気になるのかな。(文学と建築のあいだ 〜なぜまったく違うジャンルなのに響き合うのか 2017/5/21, 現代ビジネス)"
 
なぜ偉大な文学者は偉大なのか。ドストエフスキーに描かれる人物には、ユゴーには嫉妬する男の根源、人への愛。単にヒーロー的な、人間の醜さや絶妙な心理の揺れ具合、あらゆる人物がいる。彼らが今まで会ったあらゆる人間たちが、彼の根底に生きているのだ。それが、だれが読んでも異なった解釈のできる見せ方をした。
文学と建築も、絶え間ない"創造"への試練だ。あらゆる視点を獲得し、習得した人の織り成す業ともいえる。
さらには、"絵画"もそうだと感じる。オランダの フランドル画家がどうしてか、好きなのである。その原因が最近分かった。
たとえば ブリューゲルが特にお気に入りなのだけど、彼の絵には決まって 大多数で不特定な市民が描かれるのだ。
浮気してる素振りを見せる婦人、ものを取り合ってケンカしている大人、頭を抱えてる職人、地面で休んでいる子羊・・・。
 
こういうやつもいれば あんなことしてるやつも いるよなぁ みたいに、
絵を描いている最中 あらゆる町の人たちの気持ちを追憶しながら
和やかに見守っていたような気がするのだ。
 
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中学生くらいのときに描いてた絵。いろんな人物(ひよこ?)に焦点を当てながら描くのが楽しくて 自分の中で 彼らが生きているような気がした。ブリューゲルに共感したのも このときの経験があったからかもしれない。
 
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17世紀の画家・フェルメールの絵にも、その構図に決まったパターンがある。
小部屋の中に、明かりが差し込む窓が左端に一辺。その中で ひとりか二人くらいの人物が "何か"をしている。
彼は寡作として有名(今世界にあるのは三十数点のみ)だが、その人物が多彩なのだ。意味深に手紙を書く優雅な女性、天球儀に手をかざす初老の学者、紳士とワインを飲む婦人・・・ 一瞬を切り取ったストーリーにも 印象深さがある。
彼の生まれ育ったデルフトは、ほかの大きな街と比べると どこか小規模で静かな佇まいだった。生涯のほとんどをそこで過ごしたらしい。自分の町の住民、ひとりひとりの生き方に目を配り それを最も表す一瞬を 絵にしたのではないか、と。
ある授業の一環で、ローカリズムの流れの中で 地方に在住する元カメラマンの方とお会いした。町の人たちの写真を撮り続けていることを生きがいとしていたのだが 彼と似たような精神を感じる。
古典主義の時代パトロンを強く意識したルネサンスでは、いかにドラマチックに、また美しく描くかが絵画の焦点であった。英雄や王侯貴族。
しかし、そんな中で市井の人たちに目を向けて、多彩な生き方に焦点を当てる潮流があった。あとに続くミレーの晩鐘なども そうだろう。

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1660~61年/フェルメール。『デルフトの眺望』                    最初見たときは、風景画としてイマイチ、、?と思ったけど、フェルメールが生きた町の景色を実際に目で見、風を肌で感じることで 350年前の日常生活とシンクロした感覚を得た。彼が30歳くらいのときに描いたもの。住んでいる町への、恒久的な愛着を感じる。

 

建築でも、文学でも、美術でも。
いつしか「自我」という枠組みを抜け出ている。他者のためになったとき、。即自的なものをあきらめて 対自的に生きる決意。 アンガージュマン
そして、その視点を最大限に得るための手段が教養だと思う。"普遍性への旅'' 。自身とは異なる人たちをも包み込む大きさ。建築でも文学でも絵画でも、なぜ国、言語、人種を超えて何百万もの人が同じものに感銘を受けるされるのか。そこに宿る魂こそ、教養...人を知るという普遍性への旅、にあるのだと思う。
異なる価値観と邂逅し続けること。そこから異なる視点を得て、ものの見方が 複合的になること。ある一定の考えや日常生活の枠組みに停滞しないこと。自身とは違う立場の人の考えや思いを聞くこと。なぜなら、自身の解釈とは、ひユクスキュルのダニが示したように、客観的世界の中のほんの一部分を覗いているのみである。

 

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生物学者のユクスキュルは

 

利用する人間、文学や絵画に描かれる対象としての人間。

異なる立場に生きる人。異なる視野で社会を見る人。異なる価値観で対立する人。

既存の分離してある構造を 弁証法的に統合させ より良い結果を創造していくこと。

"わたしにしか見えないこの光景" をレンズごとに多層的に積み重ねることで 視点を複合させることで見えてくる 世界。イノベーションでも創造でも。~になりたい ではなく 何になるかわからない。そもそも 存在しているかも不明確だ。

そのレンズとは 政治学 社会学 デザイン ジェンダー学 修辞学 

 ありとあらゆるものを複合する。 そのレンズを増やすのが リベラルアーツ

個人では限界がある。それを 他者同士で合わせること。

 

公共圏、公共哲学が興味の中心だ。それはまたいつか・・・。
いかにして 異なる立場・価値観を抱く人同士の 対話を実現させていくか。
 
ポストモダン大きな物語が終焉した後に来るのは、局地的に展開される個々の「小さな物語」だと、リオタールは言った。客観的に存在する"唯一の世界"は存在せず、あらゆるバックグラウンドで異なるフィルターを抱く人々の、解釈や感じ方があるだけである。専門家 ポスト専門時代。統合したい気持ち。
 
無限大だ。だが、その旅路を追い求めていくこと。なぜなら、その過程で、より普遍的な数の人々へ自分の思いが届くからだ。ユクスキュルが言ったダニの生き方のような奇妙じみた世界観を、ずっと探し求める。
 
建築家であれ。文学者であれ。芸術家であれ。
多くの人の運命に立ち会いながら "創造" する人へのあこがれ。
だから彼らのような人たちは その分野を問わず 巨匠と呼ばれるんだろう、と思う。
自分もいつかは、彼らのようにとの素朴な憧れから "いろんな人の視点を得ること" を目標として、いつしか自分を リベラルアーツの世界に導いていた。
 
教養は、人の旅路を創っていく。
 
key words / references
文学と建築のあいだ 〜なぜまったく違うジャンルなのに響き合うのか 2017/5/21

 

バリアフリーの計画義務化 東京五輪に向け、改正法案決定 2018/2/9 日本経済新聞

生物から見た世界  ヤーコブ・フォン・ユクスキュル
リオタール
古典主義
ポストモダン 対話 公共圏
人への思いやり 無我
自己への執着 
画家になりたい というよりも 人々を描き続けたい
結果的に
 
建築家に憧れる。文学も読んで
、彼らの人間としての幅の広さ。圧倒される思い。
多彩な視点を、できるだけ多く得たいと思った。

一篇目:「忘れられた巨人」カズオ・イシグロ

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バルカン半島を旅していたとき、現地の人々に必ず聞くよう心がけていたことがある。

クロアチア

バルカン半島

ここはかつてない、隣人が「強奪者」に変化した地なのだから。

 

忘れられた巨人」のストーリーは、アーサー王の伝説があった時代(6世紀、日本では仏教が初めて伝来した頃)のブリテン島で幕を開く。ブリトン人とサクソン人という二つの民族が登場し、過去にはお互い戦火を交えていたようだが、主人公の老夫婦・ベアトリスとアクセルが生きる時代には、既に共存をしていたようだ。

そう、たとえば現在のボスニア・ヘルツェゴビナのように。

 

「私たちは何か、大切なことを忘れているんじゃないか」

村で起きる異変---人々が記憶を失いつつある---に触れて、老夫婦は旅に出かける。

 

やがて、記憶の欠如の理由は「山奥に巣づいている雌竜の吐く息」だということが判明する。その雌竜さえいなくなれば、みんな元に戻るのだ。よし、それでは退治して我々の記憶を取り戻そう…。

その記憶は、ふとした瞬間に蘇る。そのスイッチは、どこで入るのだろうか。

 

人々の記憶を閉じ込める雌竜の息は、たとえばメディアや政治的指導者の扇動によって掻き消される。

ツチ族がラジオを使い、フツ族をゴキブリ呼ばわりし、退治せねばならないと喧伝したこと。仲良くともに暮らしていた数万人が殺し合うことになった。記憶の奥底に眠る、"自分とは異なる相手"への潜在的な恐怖や憎悪が、掻き立てられ増幅した。

政治的指導者が、煽る。そうした途端、己の中のかすかな恐れ--私とは違う人種のあの人---に対して、リスリズム的な警戒心が蘇る。

 

私は、クロアチア人にもボスニア人にも聞いてみた。過去

「そんなことはもう絶対起きないだろう。今はもう仲良く暮らしているのだから」

だが、スレブレニツァの虐殺が起きる直前でも、当時の人々は同じことを口にしていた。私たちは仲良く共存できている。どうして殺し合ったりなどしようか---。

雌竜が吐く息は、何によって掻き消されるのだろうか。

また、"息"がなくなることで、惨禍の歴史はいつでも繰り返されるのか。

記憶の境目を、より見定まないといけない。

 

 

 

 

 

に興味を注がれたきっかけは、

「記憶」をテーマにしていることを、聞いたからだった。

どうしてか、己にとって、とても魅惑的なテーマに聞こえたのだ。

 

人と人との関係。民族のアイデンティティ

日常の中でも、テストで

恋人との約束や、友人の年齢や過去の出来事さえも忘れてしまう。

 

なぜある人は覚えて、ほかの人は忘れるのか?

"生きる熱意"

 

フーコーは「知の権力」の中で、「歴史」

ごく単純に言えば、歴史は、"過去に起きたこと"だ。でも、"過去に起きたこと"なら、なぜ

 

私たちは先祖の"記憶"を引き継いでいる。至って平凡で、客観的に聞こえる。

しかし、その"記憶"自体 --- 何に憶える価値があり、何にないのか--- を判別する作業

は、極めて主観的ともいえる。私たちは、自身の"記憶"さえ、他者の識別したものによって構築されている。私たちは

自分自身を変えた、価値観との邂逅。人であり、本であり、経験であり、対話であり、

「知らなかった世界」にぶつかり、それに感情を揺さぶられた瞬間、

人はその経験を"記憶"する。

感動であり、嫉妬であり、納得であり、憎悪であり、尊敬であり、興奮であり。

 

では、記憶を忘れるとは?

 

逆に言えば、「知っている世界」に留まり続けていれば、新たな記憶は生まれづらい。

 

メディア

「迫害されるときの」記憶が蘇る。

 

 

 

 

ドキュメンタリー ボスニア